デッドエンド

別に隠してもないけどわざわざ言いもしないこと

「部屋を飾ろう コーヒーを飲もう
花を飾ってくれよ いつもの部屋に」

この歌詞は私にとってお守りで、お祈り。

去年末、大好きな友達と突然、二度と会えなくなってしまった。
でも、私の日常はただ淡々と続いたから。
その結果、

"
だったら
どうせなら
その子の分まで
「素晴らしい日々」を。
"

と強く、思うようになった。

これは個人的に成長で。

今までの私は幸せなくせに、心のどこかで悲劇のヒロインな自分を楽しんでたけど、
暗さをファッションにするには一緒に暗さを面白がってくれる人もいなくなってしまい、一人ではしんどいし、
正直、そういうアンニュイ(にもなりきれてなかった笑)なスタイルの自分にも飽きてしまった。

今は、ただキラキラした方へと思ってる。
好きなことをしたい。
好きな場所に居たい。
窮屈なところからは逃げたい。
自分を人間じゃなくて、いち動物として、心地よくセットしたい。
ちゃんと寝る、食べる、動く。
自分を愛したい。
誰かを愛したい。
誰かに愛されることを柔らかく受け入れたい。

社不が中2病のころの話

中学に上がって物心がついても、正直友達と思える子は全然いなかったなぁ。

 

小学校からそのまま中学校に上がるから、わたしの周りは敵ばかりと感じてた。

 

スマホを買い与えられたあとは、今思えば他人と関わらない分アイデンティティがなかなか浮き出てこなくて、それが欲しくて、性格診断やら誕生日占いやら、色々した。

でも、自分とはどんな性格で誰でなんなのか全然わからない。

 

小さな学校という社会の中で、ひとりで、居場所がなくて、ひたすらTwitterで呟き続けた。

いいと思った音楽、とりとめない希望と絶望、そのどちらでもない気持ち、日常の全てを、ただただ、架空の、"私の全てを受け止めてくれる誰か"に話しかけるように。

 

誰もそのツイートを見なくても、世界に放出されて、浮遊する、それだけで救われてた。

この頃の自分を支えていたコンテンツは間違いなく邦楽ロック。

恋愛はおろか友情もよくわからないというのにラッドウィンプスめっちゃ聴き込んで、田舎の中学生なのに、1人でライブのチケットとって横アリまで行ったのすごいと思う。旅だったな。

 

別に不幸じゃなかった。

 

日本に生まれて、普通の家庭に生まれて家族に愛されて、健康体で。

ただ、漠然と、"さみしい、わかんない、人間たちの中でどう立ち回ればいいの?"と思ってたような気がする。

どうしても、なんか変わってる子だった。

体重計の数字や、食べ物に依存してしまった時もあって、今思えば苦しかったよね。

 

振り切れなくて、突き抜けられなくて、中途半端に悩んでた。

 

(ちなみに部活は楽しかったけど、卒業してから一度もほとんどのメンバーにあっていないという闇深エピソードあります。

数人にはあったけど、10代から20代にかけて常にどう自分の今の殻を破るかっていうのを模索していたから、昔の自分を知っている人には会いたくないのが基本的に前提だったんです。)

 

もうわかんないことだらけすぎて勉強だけ答えがあったから頑張ったよ。

そして地域では進学校な高校に無事入るのだがここから不穏になります。

 

ネクスト高校時代。

 

 

社不がちっちゃい時の話

私は初めて体験する社会、「幼稚園」にて、「仲間はずれ」というエグいほうの生物学的本能の洗礼を受け、いじめられっ子となり、そこからずっと怖がりで大人しい子ども時代を過ごしてました。

 

何をしたからターゲットだったのか一個もわからなくて今でも怖い。

今でも覚えてる。

SHちゃん。ちょっとお嬢様でちょっとかわいいあの子に、触らないでねみたいなすごいシンプルに傷つくこと言われてたな。

なんとなく違和感があり目障りだからなんとなく攻撃しとこう、と思われてしまう。

自分の"そういう"センスを一番感じるエピソード。

 

でも、幼稚園のお遊戯会。白鳥の湖。どうしても白鳥さんやりたかったのよ。

いじめられっ子だけど。幼稚園行きたくないけど。白鳥さんはやりたい。やりたい。

そこで、さすがの生まれたての人間の汚れない強さが発揮された。

白鳥さん役やりたい!!ってちゃんと言った。白タイツ履いて本当に白鳥さんやったんだよね。

自分を抱きしめてやりたい。

 

そしてピアノに憧れて習わせてもらったのも幼稚園児のとき。憧れだけで近づく体質はこの頃から変わってない。

ピアノの発表会で緊張して脳内で楽譜が飛んでステージ上で弾けなくなったことも今思い出した。

あの頃から緊張に弱い。

 

マリオのゲームはすぐ死なせちゃうし、モンスターを倒すような気概はなかったから、おいでよどうぶつの森やってた。

ピンクの家具集めてた。

イベントではなく日常生活が好きなのもこの頃から変わってない。

 

詳しいことは割愛しますが、毎週末親が私を預けた先で、何かうっぷんがあったのでしょうか、、お人形を乱暴に投げてしまっていたそうです。怖いのが、結構強烈なエピソードなのに、それのことをほぼ思い出せないのです。自分の中の衝動性、凶暴性みたいなものが怖いです。お人形さん、ごめんなさい。

 

あとは、園まで母に送り届けられて母が帰る時、めちゃくちゃ泣いて母と先生を困らせるとき以外は本当におとなしかったと思います。

 

幼稚園から社会に属したくなかった、自我強めの人間は、約20年後無事会社員が向いてなさ過ぎて、掛け持ちとかのフリーターしたくて泣いています。

 

そういうことです。

三つ子の魂百までよ。

 

小学生のときの思い出は、

お花係で仲良かった2人に突然ハブられた2年生の記憶と、

好きだった男の子にややしゃくれてるという理由でアゴドリルという最悪のあだなをつけられてみんなにそう呼ばれて、泣いてるのに先生にスルーされてかなり最悪だった4年生の記憶、

(立ってる私の背後から椅子引っこ抜くっていう危険ないたずらされたのになぜか転んだ私が先生に注意されたり、、ほかにもいろいろ)

 

そしていつだか忘れたけど家に遊びにきた友達が超ナチュラルにわたしの日記を読んでたことが鮮烈すぎて他があんま思い出せない。

あと泥団子作ってた。

 

こどもって、小学生ってカオスですよね。

そして担任の先生という大人に対しても全力で失望させられた。

神様、あまりにも情けがなくない?

人間関係というこれから先の人生で絶対やっていかなきゃいけないやつの練習をやらされるわけだけど、初っ端からハードモードすぎたと思う、草。

 

子どもなのに、子どもだから、、?学級通信かアルバム?かなんかのために大嫌いな同級生と先生の絵を描いたりしてたの、いたいけすぎて泣ける。

今なら言える。そんなもん描かなくてええんやで。。嫌なもんは嫌と言え!と。

 

人間を好きになれるのは、自分の好き嫌いをちゃんと言葉にできるようになるのは、もう少しあとのはなし。

人生を振り返る

このブログにたどりついてくれたみなさんは今何歳ですか?

わたしは22歳、今年23歳です。

みなさん、それぞれ、色々あったと思います。

 

その"色々"の話をただしていくブログになります。

 

自分語りおばさんという言葉がありますが、要はそれです。

 

自慢できることはあんまりなく、今までやらかしてきた華麗なる社会不適合者ムーブがメインで、なぜか起こってくれた忘れられないきらきらした思い出を、少し添えて、書いていきたいと思います。

 

わたしは思います。ここでわたしがしょうもない自分をただありのままに、公開することでもしかしたら誰かが、こんな人もいるんだ、自分はすごい。と思ってくれたら。

 

Twitterだとどうも140字にまとめられず、結局ねむいとかだるいとかばっかり言っちゃうのでブログにします。

 

このめんどうな性格のおかげで齢22にして色々あった方だと思います。

簡単に今の状況をまとめますと、一人暮らし。掛け持ちフリーター予備軍。不眠がち。

ただ発生する出来事をこれでもかといちいちこねくり回した結果たくさんの色々が生まれました。

 

それではまず こども時代

かわいいから大丈夫

この前、ふと思い立ってGoogleフォトで写真を見返したらたくさんの元彼の写真と目が合った。

 


今日は元彼(以下M)のことについて書く。

正直言って、どんどん薄れていって、細かいことは忘れてしまいそうだから、書き残す。

私の人生の中で一番私に変わるきっかけを、気付きを与えた人。

 

 

 

Mとは当時18歳の私が若気の至りを極めていた頃汚い居酒屋で出会って、私から話しかけた。9個上、27歳。

酔って、そのまま周りの人(知らない)に、そこのふたりで帰んなよ!と意味わからないことを言われ、言われた通りにタクシーになだれこんで、ホテル、という、普通に最悪の出会い方だった。

 

けど、私はMと出会えたことが嬉しかった。

 


何を話したかは全然覚えていないけど9歳も年下の、反抗期を拗らせて、謳歌していた私の話を、一晩中面白いと言って聞いてくれたから。

乱暴にされてもしかたない状況でそれは優しく抱いてくれたから。

 

次の日の朝も、なんか、色々とちゃんとしていておかしかった。スタバで真面目な、たしかお金の話とかされた。〇〇ちゃんにはもっと教えてあげたいなとか言われた気がする。

 

変な大人がいるんだなー、こういうもんなのかな?遊び慣れてるのかな?マルチとかではないよな?とりあえず面白いな〜と新種の生き物を見つけたような気持ちでMに興味を持った。

 

(私も相手もいかれている、と何度も何度も思いながらこの文章を書いている。)

 


そのあとは1年ほど奇妙な関係が続いた。

 


私は彼氏がいて、別に大きな目標もなく、なんとなくチャラチャラ、フラフラしてる美容学生。

Mは院生時代に付き合っていた女の子を未だ忘れられないまま、めちゃくちゃ働いていた。バイトしかしたことなかったこどもの私から見たら、社畜という言葉がこれほどにしっくりくることははじめてだった。

出身も地方からがっつり違ったし、当時住んでたとこも東京と関西。

 

共通点ゼロ。

 


そんな私たちは毎日LINEをした。

何をやりとりしていたのか、それこそ覚えていない。

 

 

でも、私はMに惹かれた。共通点などないはずのMに自分を重ねた。

Mも、私を自分に似ていると言った。

 

言葉の使い方、物事の感じ方。生活してて気になるポイント。いいと思う音楽の話。
私は気持ちを隠さずにいられなくなった。

もっと話して、もっと知りたいし、もう一度ちゃんと会いたい。

性欲とかわからなかったけど、この人が、私の知らないあの子をもう一度抱きたい、と思うように、私のことを良いと思ってくれて、欲情してくれたら、、と想像するようになった。

向こうも私のことを同じように、少なからず興味を持っていることはわかっていたから、私は若さに任せて押しに押した。

 

今まで誰かに気持ちをまっすぐ伝えるなんてしたことがなかった。

でも、ここを逃したらダメだと強く感じた、変わりたい、殻を壊したいと思った私は、恥ずかしいとか抜きで、あなたが好きになったと、好きだから会いたいとたんたんと伝え続けていた。神戸まで飛んで行った。

今思えばヤバすぎる、怖いよ私。

Mが折れるかたちで結局付き合った。

きっと世間体すごく気にしただろうし、自分は正気じゃないと思ったんだろうな。その感覚は間違ってないよ。おかしかったもんわたしたち。

 

冷静に考えれば考えるほど割と犯罪だ。

 

そんなわたしたちを引き合わせたのは一言で言えば生きづらさだと思う。

 

 

 


幼少時代、地味で、引っ込み思案でいじめられっ子だった私は、どんなに化粧して華やかに着飾っても隠せない根暗さみたいなものを自分の中に感じていた。

いじめっ子が男の子だったので、心のどこかでいつも男の人が怖かった。

今でも女性らしく振る舞って男の人に優しくされようとするのは、男性が怖いと言うトラウマから自分を癒すためのように思う。

 

 

 

Mは、賢い人だった。

大学院まで勉強し、就職活動してもどの会社もそんなMをほしがったらしい。

最後大手2社で内定が決まって迷った話とかしてたな。

ルックスもよかったし、料理をはじめ生活全般も器用にこなしていた。

いろんなものを持っていた。

でも圧倒的に協調性というものが足りなかったように思う。

言い返さない方がいいところで言い返すし、あまのじゃく。

よく言えば孤高、悪く言えば自己中。

それでいてすごく繊細な、少年のような、いや、引っ込み思案な少女のような性格だった。

精神的に参った時物にあたる。髪を自分で切る。そんなどうしようもないところもあった。

 

 

陽気に、簡単にコミュニティに溶け込めるふりをして、それはあくまでふりなこと。

結局、自分はちゃんと溶け込めていない孤独感。

気にしない、とか、ある人は難なくクリアできることができない自分。

他者を敏感に感じ取ってしまうゆえに、常に落ち着かない心。

 


今でさえいろんな病名がついたおかげで、、ていうか、病名がつかなくても、多様性が認められているから、そういう人たちのケアをしましょう、社会の中で受け入れていきましょうとなってる。

でも、実際どうなんだろう。

 


私も社会に出て働く中で、そういう生きづらさを感じないで生きてこられた人たちには、ざっくり言えば甘えにしか見えてない、ダメな人たちとしか思えない、ような感じがする。まぁ実際ダメなんだけど笑

 


だから、やっぱり似たもの同士で、気持ちをわかってくれる同士で肩を寄せ合う。

 


そんな生きづらさを持つもの同士、私はMを理解していると思っていた。

 

 

 

でもそれも幻想の部分が大きかった。


いくら似ていても、やっぱり他人。

 


お互い、惹かれていけば惹かれていくほど、今度はその違いが歪になり関係が崩れていった。

 

 


初めて出会った、自分の片割れのような人。生まれてくる前どこかで会ったことがあるような懐かしい気持ちになる、大好きな人。

 


Mは、私が10の中で1話せば、その気持ちを手で取るようにわかってくれたし、私もそうだったと思う。

狭い部屋で二人でいれば、そこはどこまでも二人だけの国で、安心して眠り続けた。

 

 

 

そんなMとすれ違いを感じれば感じるほど私は焦った。

 


Mを一番近くに感じていないと心許なくて、会えない夜は泣いてばかり。

一人暮らしのさみしさも相まって、しっかり依存してしまった。

思い返せば迷子の幼子のよう。

 


『早く遠距離終わらせて、一緒に暮らそう』

 


付き合い始めた頃にした約束が、果たされなくなるのでないかと思えばヒステリックになってしまった。

 


まるで仕組まれてそうなったかのように最悪のタイミングで彼の仕事までうまくいかなくなって、それは口実だったかもしれないけど、とにかく一緒に暮らせるような状態ではなくなった。

 


色々限界だった私たちはもう一緒にいてもプラスになることがほぼないのはわかっていたけど、私からは手放せるわけなかった。

向こうから別れてほしいと言われた。

 

電話越しに放たれた、きっと全部諦めた、あっさりとした、俺と別れてほしい、の声は今でも忘れない。

心がシン、、と冷たくなった。

 

 

 

 

 

 

 

別れてから半年ほど、抜け殻のような私は、抜け殻のまま考えた。

どうしたらよかったんだろう。

あんなに相性がいいかと思われたのに、最後は弾き合うように別れてしまった。受け入れられなかった

 


最終的に行き着いた答えは、

 


"他人は他人であるということを理解する"

 


というごくシンプルな答え。

 

 

 

"大人はいないということを理解する"

 

 


ということ。大人はいない。みんな大人のふりをするのがうまい子どもだ。みんないくつになっても弱くてわがままな部分がある。

 


私はMが、他人でいることも、

そして9歳も年上なのに大人でいないことも、許せなかったのだ。

 


全部を愛していると口では言いながら、現実では自分の理想を押しつけて、ゆっくりと押し潰してしまった。

 


激しく後悔したし、自分が恋したときの盲目さの恐ろしさをひしひしと感じた。

ごめんなさいと伝えらないのが苦しかった。

 

 


今、わたしには新しい恋人がいる。

 


もう過去は変えられない、過去からは学ぶしかできない。そうなったら今の恋人を精一杯経験を活かして愛そうと決めた。

 


恋人のそのままをそのまま受け入れよう。

二人でいる時は、恋人が大人のふりをやめて、安心して子どもに戻れるような、私でいよう。

 


そして今の恋人と私はあんまり似ていないのが救い。

二人の違いは、最初からで〜んと我が物顔でそこに横たわっていて、その上で付き合っているから、もはや許す許さないとかの問題じゃない。

 


でも、やっぱりどこか似ているところもあって、なんとなく寄りかかりあって生きている。

なにかとデリケートで睡眠をとるのも食事をとるのも下手というか、なんというか。

で、たまに私も弱った時、ご飯が喉を通らなくなったり、一睡もできなかったりして、彼の世界を垣間見たりね。

 


これくらいがちょうどいい。

 

 


恋人は私が自分に持っていないものを持っているところが好きだと言ってくれる。

私も恋人に対してそう思っている。

 

好きな人と違ってていいんだ、

分かり合えなくていいんだ。

こんなに穏やかな気持ちで人を好きでいられる自分がいたことに驚く。

彼の世界を、すこし離れた、でも、お隣さんくらいの距離からやさしく守りたいと思っています。

 


そして、Mとの思い出も時間が経って、優しい気持ちで思い出せるようになった。

 

思い出の中の悲しかったこと、苦しかったことみたいなネガティブな部分がゆっくりと底に沈んでいって、優しくて綺麗な思い出だけが上澄みになって思い出せるようなイメージ。

 


その中の一つを最後に書く。

 


大前提として私は普通の女。

ビジュアルだけでご飯食べていける、もしくは世渡りにおいてビジュアルのおかげでいいことがあるかといえばまったくもってそんなレベルではない。

 

当時Mはストレスと恋愛フィルターがかかって、少し狂っていたようで、私のことを本当にかわいい、かわいいと言ってくれた。

そして、私がなにかと自信をなくせば、"かわいいから全部大丈夫だよ"と言ってくれた。

 

当時、なにが何が全部大丈夫だよ!と思ってたし、今も全然何が全部大丈夫なんだろ?と思うけど、たまにしんどいとき、奥の手で、私はかわいいから全部大丈夫、と呟く。

仕事で上司に詰められた時、まぁ、私かわいいし大丈夫と自分を励ましてみる。

 

そうするとなんとなく笑える。


そんな小さな呪文と、勝手に、自分可愛いと思い込むことで"大丈夫"でいてもいい、という雑、且つ大きな気づきをくれたMに、ずっと感謝している。

ありがとう。

で、本当にごめんなさい。

 

30点の恋愛だった。

 

でも、死ぬ前に走馬灯でピックアップされるだろうなっていうインパクトのある時間だった。

 

あなたの幸せを、ずっとずっと願って。

 

そして、かなえられるかは微妙なんだけど、いつか私がちゃんと大人になって、全部が優しい思い出になったとき、会いに行っていいかなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫?

大丈夫、あたし今日は暇だから
あんたの側に居てあげるから
大丈夫、あたしに電話くれたら
もっと大事な物あげるから

大丈夫、誰にも言わないから
こんな事言ってもつまらないから
大丈夫、あたしには話してよ
今日は離さないでいてあげるから

大丈夫、どんなに情けなくても
あんた歌ってる時は格好良いから
大丈夫、だれかに騙されても
あたしずっとずっとずっと信じててあげるから

あー、辛くてたまらないなら
酒飲んで酔っ払ってそのまま朝になるまで寝てれば良いよ
もう大丈夫だから

大丈夫、あたし今日は暇だから
本当はそんなに暇じゃないけど
大丈夫、一つになれないなら
せめて二つだけでいよう

大丈夫、どんなに悲しくても
あんた泣いてる顔も可愛いから
大丈夫誰かに怒られても
あたしちゃんとちゃんとちゃんと謝ってあげるから

あー、痛くてたまらないなら
薬飲んで横になってそのまま朝になるまで寝てれば良いよ
もう大丈夫だから

あー、怖くて眠れないなら
酒飲んで酔っ払ってそのまま朝になるまで起きてれば良いよ
もう大丈夫だから

 

大丈夫/クリープハイプ

 

 

大丈夫じゃないのはこの女なんだ。

それがわかる人にだけクリープの良さはわかる。

 

繰り返し、繰り返し、、

 

大丈夫という言葉を繰り返すことでこのあたしも大丈夫だって言ってるように聞こえる。

 

本当はそんなに暇じゃないのにね

普段は謝ることなんか大っ嫌いなくせにね

 

とても愛おしくて痛い。

ほんとに痛々しい。

 

この曲の次の百八円の恋はもっともっと痛い。

てか、痛いって言いまくってるしね。

 

そうか、怖くて眠れないなら酒飲んで酔っ払ってそのまま朝になるまで起きてれば良いんだよなー

 

どうしようもない夜どうしようもない人間にどこまでも寄り添ってくれるこのバンドがある限り私はここから抜け出せないかもしれない。笑

 

でもたまに抜け出して

 

 

 

また帰ってくるんだろうな

 

 

痛いね

 

 

 

けど痛いからこそ生きてるって感じる

 

 

全力で痛くなりに行く、たぶん若いからできる、自分へ

 

若さを失ったらどうするんですか?